2013年6月6日木曜日

聡明な若者と愚鈍な老人

1年以上ぶりの投稿になります。

この間に微細ながらも変化してきたという実感があります。

この投稿するきっかけはショーペンハウアーの著作を読了して、私が以前から常常思っていた事を書き連ねたくなったという訳です。

最近顕著なのが老人の狼藉による悲惨な事件等々。
ショーペンハウアーの時代、もっと最近では私が20代始めの老人達は年輪をうまく重ね思慮深かった人が多かったと思う。
著作でも青年期は経験不足からくる心の判断不足による過ちや享楽に落ちやすくなる等々、老年期はそれらを経験して享楽が何も産まないことを知っているのでそれに乗じるより孤高を好む等々、老人達は人生のバイブルとしての役割と尊敬を持っていた。

だが、今の時代はどうであろうか。
60代の老人がスーパーマーケット等で万引きをして捕まった言い訳として

「寂しかった」と。

ショーペンハウアーがこれを聞いたら「私を全否定する気かぁ」と怒り狂うかもしれません。
彼は老人は思慮深くなり集団でいるより孤高を愛すると再三記述してありました。
おまけに金欲しさに人殺しまでする老人もいるので、ニュース見る度寝込むかもしれません。

一方彼が未熟者としている若者たちは、現在ではとっても思慮深くなっています。
先行き不透明な現在ではそれは仕方がないのです。
大学でても就職できるかわからない、就職できても会社がブラックなら会社の餌となり精神をすり減らして精神病になってしまう。おまけに給料が年収300万以下の人々がゴロゴロいて、結婚しようにも先立つ物がない状況では無理。それ以前に正社員になれないので収入が安定しない等々。

それでも政治家は「子供を産んでください」と言っており、政策自体が老人による老人のための政治をしているからこれまた無理。

なんか悲惨です。生きているだけで丸儲けなんて嘘な社会はもはや幻想になっています。
だから若者たちは諦めています。一部金に集る若者もいますが、あくまでも一部。
大多数の若者たちは日々の生活を苦慮しながらなんとかしている。

「未来、それって美味しいの?」
と言いかねません。

だからこそ私は言います。

老人たちよ、若者たちの規範となり心の財産を残して未来の礎になってください。


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